夫という人。それが、私の居場所だった

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妻の日記
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ぜひここにいて。

どうか俺のためにここにいて。

ずっと俺のそばにいてほしい。

 

 

女が

自分に対するこういう扱いを知らないでいると

どこにいても安心できず

居場所がない感覚で、

安心するために努力を続けてしまう。

 

何もしないでいいと言われればそっちの方が居心地が悪くて、

むしろ歓迎されていない場所で

過剰に居場所のために自分を犠牲にする方が

心地よかったりする。

 

そうして、

努力して居続けた場所で、

自分にできるささやかな特技や技能に自尊心を見出して

だから、ここにいてもいい、

と自分に言い聞かせる。

 

必死の努力で得た居場所だから、

その場所は、なかなか捨てられない。

 

 

人間的な扱い、それ以上、

尊厳のある扱いを知る意味。

 

 

自分がいる場所で、

それがどこであっても

いつでも安心していられるために

知っておくべき感覚。

 

居てくれるだけでいい、

お前が笑うと俺は生きる気力が出るんだ、

という原点となる父親の愛情。

 

居場所がない、

と感じているのなら、

その努力が自分を安心させてくれないことを多くの女性が知っている。

 

 

私はその父親の愛情を知らずに育ったけれど、

40半ばにして

男性が抱く「存在」への愛がどんなものか知ることになった。

 

 

日々、夫がわたしを家の真ん中に置いて、

あるいは自分の思考の真ん中に置いて、

心の真ん中に置いて、

暮らしている姿に触れるたびに

わたしは自分の尊厳というものを垣間見る。

 

その意味を教えてくれた夫に

嘘のない素直な笑顔を向け続けるために

自分を整えていたい。

 

 

我慢のない嘘のない笑顔。

 

 

今の夫と結婚する前、

自営業を始めるまで

人に雇われて働いていたけど、

長い間、居場所がないと感じていたのに

生活のためになかなかその尊厳のない環境を手放せずにいた。

 

自分で仕事を始めて

自分の居場所を自分で作り、

ほどなくして

結婚もした。

 

仕事場でもある程度技術への固執が続いたけど、

夫の暮らしを通して

場の真ん中に安心して存在できるわたしになっていった。

 

そうして何十年も続いた居場所探しは

ひと段落ついた。

 

 

夫という人、

人が私の居場所だった。

 

 

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